自己紹介・沿革

氏名:本田弘志(ほんだひろし)
生年月日:1964年7月2日
好きなミュージシャン(洋楽):The Beatles、Pink Floyd、The Police、U2、他多数
好きなミュージシャン(邦楽):奥田民生、椎名林檎など

1964年7月:誕生
1976年:アリスなど当時ニューミュージックと呼ばれたジャンルのヒットによりギターに興味を持つ
1976年:親戚のおじさま宅に使用していないギターがあり、そのギターで本格的に練習を始める。曲は吉田拓郎氏の旅の宿。
1977年:割と裕福な暮らしをしている友人がギターを買い替えたいとのことで、友人が所有していたギターを今考えると法外な価格で売り付けられる。ちなみにWestminsterのレスポール、デタッチャブル・ネックというあり得ない仕様。Made in Japanなのがせめてもの救いだった。
1977年:友人の影響等によりザ・ビートルズにどっぷりはまるが、アルバムを買いそろえるほどの経済力なし。
1979年:高校生になり、アルバイトを始める。稼いだお金でGreco EG-1000を購入するが、持ち前の集中力のなさで上達できず。
1980年:なぜか高中正義にはまり、YAMAHA SG-1000を購入。ご多分に漏れずOrenge Squeezerを装着。
1980年~1982年:馬鹿みたいにギターを練習する日々。1日8時間程度は弾いていたかも。
1982年:大腿骨骨折により半年間入院。高校は留年。
1982年:このころよりなぜかJAPANに傾倒し、土屋昌巳氏のようなギタリストにあこがれる。
1984年:そもそもギターを上達することに興味がなくなる。
1985年:コンポーザー・ヴォーカルを目指し、1st Prizeを結成。
1986年:East West ’86にて決勝大会に進出。その模様がレコードで発売され1,000円程度の印税を手にする。
1988年:コンポーザー・ヴォーカル・サウンドメイキングなどをやりながらバンド活動を継続する。
1989年:その日はなぜがのどの調子がよく、YAMAHA Right Music Contestでベスト・ヴォーカリストを受賞する。
1990年:Paul McCartneyのWorld Tourを観に行く。目の前でザ・ビートルズのナンバーを熱唱してくれるPaulに涙を流し感動する。
1992年:今の配偶者と出会う。それまでだらだらとバンド活動を続けていたが、バンド活動を辞め、結婚を申し込む。
1994年:4月に地元山梨の生活協同組合に就職し、11月に挙式を挙げる。
1998年:うつ病を患い生協を退職する。
1999年:長女を授かる。
2007年:次女を授かる。
2019年:某地方自治体で障害者枠で嘱託職員として働く。また、The BeatlesのコピーバンドThe Beautitudesに参加する。
2022年:バンドを脱退しアコースティック・ギターによる弾き語りでソロ活動を始める。今もうつ病、アルコール依存症、過食症などに悩んでいるが、山梨ビートルズ普及協会を立ち上げ、地域における社会貢献に付与したいと考えている。

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